37

温泉



 
 自転車のギアをどんどん落としてゆっくり走る。
これがすべての始まりだった。。

足でこぐわりにはスピードはそんなに出ていない。
かといって、のろのろしていて不安定なわけではない。
確実にぐいぐいと力強く突き進む。
もしかしたらば小走りの方が速いかも?
そのような速度で街を自転車で行く。
特に目的の場所なんてあるわけでもないが、
ただただぐいぐい前に進む。

速すぎるとちぎれて飛んでゆく景色が、
この速度だと連なって綺麗に流れてゆく。
目に映るそれらのものは、まるで一つの絵巻物。
全く関係ないはずの景色も、
まるでドラマのように意味を持ち始める。

「やあ、こんにちは、こんにちは。」
意味なく挨拶したくなる。


ある日、大きな川を遡ってみた。
数人で出かけたので、みんなと一緒に走った。
帰りの時間もあるので、一生懸命走った。
面白かった。

でもその楽しさは異質。
景色は綺麗で楽しいがよそよそしく。
会う人はすべて他人。
記憶はアルバムの写真のようにばらばら。
そして、そこに行ったことは確実だが、
なぜだか…
う〜ん、そこは私には「よそよそしい」。

不思議に思って、いつの日かもう一度行ってみた。
こんどは一人でゆっくりと。
未舗装の土手をトコトコ行き、気になる水たまりでは立ち止まり、
そこを埋めているガラスのかけらからビーダマを探し出し。
トカゲの潜んでいそうな茂みではとりあえず手を突っ込んでみた。
途中、前回気になっていた小さな堰に差し掛かった。
今回は一人なので、自転車を置いて川まで下りてゆき、石を放って遊んだ。
そうこうしていると、あっという間に時間は過ぎすぐにお昼になった。
橋の下の影で持ってきたおにぎりを食べていると、
後ろから声がした。


「お前何年や?」
見れば学校の帽子をかぶった男の子数人。
私は答えた。
「4年や。」
「うそつけ!お前なんか4年におれへんぞ。」
「うそちゃうわ!おれはもっと下の方からきたんや。」
「下ってどこや?」
「ず〜っと下のほうや。」
「自転車でか?」
「そうや。」
「ふ〜ん、どれくらいかかってん?」
「ん〜っとな、大体4時間かな。」
「へ〜、なんかおもろそうやな〜。」
「おもろいで♪」
「ほなら、あの豚小屋んとこも通ったんか?」
「あそこは臭いから避けた。」
「くっさいもんな〜。」
「うんうん。そうや、これ見てみ!」
「なんや、ビーダマやんけ?なんやこれ?」
「下のほうの土手にな、ビーダマ工場があんねん。」
「盗ってきたんか?」
「ちゃうねん、その工場の近くの水たまりにはな、石ころのかわりにビーダマが入れてあるねん。」
「へ〜、ええな〜!どこか教えてくれや。」
「ええで、それでな…」

気がつけば1時間くらいもそこで話し込んでいた。
地元の情報交換から始まり、学校の話、テレビの話、などなど…
話題は尽きることなくいつまでも続くかのようだった。

「そんでお前どこまで行くねん?」
「もっと上の、ぶどう畑の下の赤い橋まで行くねん。」
「あそこやったら、1時間もかからんで。だから…」
「だから?」
「ちょっと寄っていけや。」
「どこへ?」
「ええとこ案内したるわ!」
「…まあ、ええか。」

そのあと私は、「原始人の住んでいた洞穴」や、「秘密の宝の眠る森」を探検し、
「秘密基地」でマンガを読んだ。
そして、気がつけば当たりは真っ赤に染まっていた。

「今何時や?」
「あれ?もう夕方や、あかん、もう帰らな!」
「悪かったなあ、赤い橋まで行けやんだなあ。」
「ええねん、その代わりもっとおもろいとこ行けたから。」
「そうか。」
「そうや。」
「お前、また来るんか?」
「ん〜、分からん。」
「また来たら、さっきの秘密基地に来いや。」
「うん、お前らも下に来ることあったら、うちのいろいろ案内するからな。」
「おう!」
「おう!」

携帯電話など夢の道具だった頃、電話番号を教えあう、そういった考えすらなくて、
いったいどうやって連絡を取り合う?
でも、その時は何もおかしく感じていなかったし、
なんだかまた会えると確信していた。
(結局、多分あれから会っていない。)

帰り道、夕焼けに向かって走るが、やがて日は落ちてまわりは真っ暗。
でも、前回とは違い景色をやけに覚えている。
だから暗くなっても不安はない。
もし不安があるとすれば、遅く帰って祖母に叱られるかもしれないということ。

あれからずいぶん時が経ったが、あの時のことは今でもはっきりと覚えている。
それも、アルバムの写真をパラパラめくるような記憶ではなく、
一続きの物語として、匂いも温度もそのまま…

今私は、趣味でバイクをいじっている。
どこからか中古のモノを見つけてきては好きにいじって遊んでいる。
市販の良い部品を入れれば、性能も上がり速くなる。
格好も良くなり、きっと乗り心地もいい。
無論そうしていじったバイクもある。
でも、一番楽しくいじっているバイクはそうではない。

そう、一番楽しくいじっているバイクは、私だけのスペシャルバイク!
だから、他の人にどうこういわれても気にならない自分だけの宝物。
今日も仕事が終わってガレージでバイクをいじっている。
表で物音がした、誰かがドアを開けて入ってきた。
ん?
最近免許を取った甥っ子だ。

「あっくん、何してるん?」
「ん〜?ちょこっとな改造〜♪」
「速くなるん?!」
「ん〜、どっちかというと遅なるんちゃうかな?」
「あ〜?変なの〜。あれ?」
「ん?どうした?」
「あのフレームは何?」
「ああ、こないだ拾てきた。」
「またつくるん?」
「うん。」
「かっこええのん作ろうや!」
「う〜ん、そうやな…、こんどはな…」
「こんどは?」
「こんどは、乗ってて気持のええのんが欲しいな。」
「気持ええのん?速いやつ?」
「ん〜、ちゃうな〜、そうやな…乗ってるだけで気持のええ…」
「アメリカン?」
「いや…、うん、ほらあれや!」
「あれ?」
「温泉!」
「温泉?」
「そうや、温泉に入ってるみたいなバイク。」
「温泉?そんなん変やわ〜。」
「変かな?」
「変や、変や!あはははははは!」
「変ついでに裸で乗るか?!」
「あはははは!」

そうやって笑いながら、私はフロントスプロケットの歯数を一つ落とした

(完)


次へ



とっぷへ