8 鍵(終章)

3人の男が集まっていた。
なにやら話をしている。

「…っとまあこういったことなんですわ。」
「なるほど、なるほど…」
「だから、あなたはいつも手紙や説明書をきっちりファイリングしているのですな。」
「そういうあなたこそ、毎月、決まった日にお墓に行ってらっしゃる。」
「はははは、私なんぞは必ず、施錠の有無を確認せずにはおられませんよ。」
「しかし、まあなんですな、ここにいるみんなは奇妙な体験の持ち主ですな。」
「まあ、他のものが聞けば全部眉唾ものですがね。」
「はははは、しかたがないですよ、だって今ではあれが本当だったかどうだったかなんて…」
「そうそう、自分自身でも言い切れませんわな。」

そのとき一人がこう言った。

「そういえばこんな話を知っていますかな?」

残り二人はその男の方を見た。
「体験した事実というものは、本当はすべて脳内で処理された記憶らしいですよ。」
「ほ〜。」
「つまり分かりやすく言うと。」
「言うと?」
「体験したその時の情報を、脳内で信号として「記憶」として貯蔵しておく。」
「ふむふむ…」
「だから、今覚えている、手触り、音、味、温度、匂い…すべては、ただの信号に過ぎないんですよ。」
「ふむ、で?」
「だから、その信号をちょこっといじることができれば…」
「ば?」
「記憶を、ひいては、体験を改ざん出来るんです。」
「ふ〜ん、なんかムツカシイな…」
「!」
「ちょっと待てよ!」

一人が大きな声を出した。

「ということは…」
「そう!気がつきましたか?」
「ちょっと待って下さい。何のことですか?」
「いいですか、記憶、体験が改ざんできるということは…」
「は?」
「もしかしたら、既に改ざんされている可能性だってあるということですよ。」
「なるほど…、で、それが何か?」
「つまり、今までの我々の体験が果たして本当だったのかどうかもいよいよ怪しいってことですよ。」
「なるほど…」

パチッ!

その時、3人の目の前にある焚き火の中の薪がはじけた。

3人のいる崖下のくぼみの外は大雪だ。
あたりは真っ暗だが、積もった雪だけがやけに青い。

「ところで、薪はもうないのかな?」
「…、もってあと1〜2時間程度か…」
「絶望的ですな…」

つい、ポツリっと漏れたその言葉のあとに意外に落ち着いた声が続いた。

「いや、そこでさっきの話ですよ。」
「え?」
2人は再度その男を見た。
「つまり、体験や記憶が不確かなものならば…」
「ば?」
「今の我々の存在自体、果たして確実なものなのでしょうか?」
「ばかな!私はここにいますよ!」
「そう、いますよ。」
「ではどういうこと?」
「考えてみてみてください、我々の体の中の血液や細胞の数々を。」
「?」
「あれらすべては私たちに属していますが、それぞれ独立した細胞でしょ?」
「だから?」
「もしそれぞれが意思を持っていたとしたら?」
「まさかぁ〜!」
「いや、そうとも言い切れんぞ。我々の身体は元々原生動物の群体だったという考えもある。」
「その通り。現にミトコンドリアなどは言わば器官化している(他の)原生生物といえますものね。」
「なるほど…」

表は更に雪風が強まっていた。

「で、そのことが一体今の我々にとって何の意味があるんですか?」
「分かった!」
「え?」
「つまりこうでしょう?今の我々は我々であって我々でない。」
「ご名答」
「ちょっと待って!意味がわかりません!」
「つまりはこういうこと、我々が乗ったバスが崖から落ちて、運良く、いや悪くかな?
ここでこうして非難しているってことは、我々は体験しているが、
現実の出来事ではないかもしれないってことですよ。」
「さっぱり分からん!」
「つまり、我々の存在そのものが大きな何かの中に属しているものであって、
今の我々の状況も、その大きなもの次第でどうとでもなる。」
「いきなり神様?ここにきて宗教の勧誘ですか?」
「違いますよ、考え方ですよ。考え方。」
「そうそう、今までの考え方では、この後は薪が尽き、我々は凍死。」
「そりゃそうだ、こんな山中では救助も間に合うまい。」
「でしょ?だから考えうるのは「死」。存在の消滅ですよ。」
「そうそう、だからどうせ死ぬならば、前向きにってことですよ。」
「?」

風は次第に止み、雪だけが静かに舞い降りてきていた。

「つまり、みじめに震えながら、泣きながら、怯えながら死ぬのではなく。」
「そうそう、一旦休む気持ちで場面を切り替えるんですよ。」
「…、つまりはこう思えってことですか?
大きな誰かの頭の中の我々は、一旦ここで退場し、又頭の中で動かしてもらえる時まで休憩すると…」
「そうですよ、そうすれば何も恐くはないでしょう?」
「そうそう、さっきあなたがおっしゃった宗教も突き詰めればこれのようなものですよ。」
「でも、納得できないな…」
「納得などはしなくていいのですよ、気持ちを切り替えればそれでよいのです。」
「いや、私は納得できますよ。」
「!?」

「いいですか?奇妙な経験をした我々3人が知り合い、ともに事故に会う。」
「ふむふむ」
「しかも他の乗客は死に絶え、我々だけが今こうして生きている。」
「まあな…」
「こんな偶然なんてないですよ。
我々が今こうしている間にも、きっと大きな誰かは
暖房の効いた部屋で、人差し指でキーボードを叩きながら、
今後の我々の今後の処遇について考えているんでしょう!」
「まさか…」
「いや、私はそう考えることにしました。だからもう大丈夫です。」
「そう、私も一旦休憩することとしますね。」
「…、なるほど心の持ちようですね…」
男は長く沈黙した後、しっかりとした口調でこう言った。
「では分かりました、私もそうしましょう。」

風は相変わらず強く吹いている。

「はははは、頭のスイッチをそのように切り替えると随分楽になるものですなぁ。」
「でしょう?」

残り少ない薪が明々と燃えている。

「しかし、何ですな…」
最期に納得した男が言い出した。
「しゃくですな。」
「?」
「いや、つまり、その大きな者、つまりキーボードを叩く男ですよ。」
「キーボード男が?」
「そうそう、奴の思い通りというのも面白くない。
ここはどうです?
いっちょ逆らってみませんか?」
「逆らう?」
「そう、我々は一旦退場しても、絶対戻ってきてやる、
キーボード男の頭の中でいきなり暴れてやる!」
「ほほう!それは面白そうだ!」
「でしょ?」
「でもどうします?」
「う〜ん…」

ゴトッ
一番下の薪が崩れて落ちた。

「そうですよ!意識!意識ですよ!」
「意識ぃ?」
「そう、しっかりと今の自分自身の意識を保ちつづければ、決して消え去りはしないはず。」
「そうか!よ〜し、絶対に消えてなるものか!」
「でも、奴は強大だぞうまくいくかな?」
「ポイントは飲み込まれないことですよ。」
「奴の意識に?」
「そう、だから我々がより以上しっかりとした意識をもちつづける必要があります。」
「難しそうだな〜。」

いきなり風がが入り込み、炎が赤く大きく膨れた。

「そうだ!こうすれば?」
男はポケットから鍵を取り出した。

「この鍵は私にとって、とても重要なものです。だから私はこれを握り締め意識を保ちます。」
「なるほど、では私もこれだ。」
そう言って男はバイクの鍵を取り出した。
「では、私はこれだな…」
彼は家を出るときに、何度も掛けなおした家の鍵を取り出した。

最期の薪は、ほとんど白く灰になり、
パチパチと音を出すこともなくなってきていた。

3人は小さく痩せてゆく炎を見つめていた。
今彼等の手には、しっかりと鍵が握り締められていた。
それは存在自体も「鍵」であったが、意識の中でも大きな「鍵」となっていた。

これで「鍵シリーズ」は完結です。
結論を言ってしまえば、ブロスさんがおっしゃってた「インナースペース」ものになっちゃったわけですが。
このオチは、実は子供の頃から私の頭の中から離れない考えなのですよ。
いつぞやも「いろいろ」で書きましたが、何かの折にふとこのようなことを考えている子供でした。

夜、寝床に入って・・・
天井の板の節を見つめながら、様々な思いを巡らせました。

「ここにおるってどういうことやろ?」
「じゃあ、死ぬってどういうことやろう?」
「死んだら霊魂になるんやろか?」
「霊魂がいっぱいになったらどこにためたらええんやろ?」
「ほんまに僕は今ここにおるんやろか?」
「僕はほんまに僕なんやろか?

この歳になっても、
たま〜に、思います。
「俺、ほんまは今なにをしているんやろ?」






次へ

戻る

とっぷへ