今回は前々から行きたかった場所に出かけたくて前の晩からウキウキ♪
でも、朝起きてみれば…
「雨ぇ?!」
仕方がないので犬の散歩を終え、その後再び布団に入り二度寝、というかふて寝。
で、お昼前に起きてみれば…
「なにこれ?快晴!?」
そういうわけで、少し予定からずれてしまったけれどあわてて着替えて出発!
(^◇^)ノ
お昼からはお日様も出てよい天気なのはいいのですが、 風がやたらめったら強くて、走っているとバイクは流されっぱなし。 特に高架道路になっているバイパスなどでは、一車線は軽く振られてしまう。 当然強風は体温を奪うので、走るほどにじわじわと心から冷え込んできました。 だから目的地付近でいったんコンビニに避難し温かいコーヒーを♪ そうしたら、朝から食パン一枚しか食べていなかったことを思い出し、 あまりおなかは空いていなかったのですが、とりあえずパンを買って食べました。 寒い日は、食欲がなくともお腹に何か入れておかないと、もっと寒さが増しますから。 で、ついでに、お茶も。 これも寒いときこそ水分を取らないと、体が乾いてしんどくなるから。 そういうわけで、準備が整ったのでいざ! |
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目的地は大阪から和歌山に抜けたあたりの山間部。 (途中、20年前に仕事で関係した現場を見かけちょっと感動♪) 進入の目印になる小橋を見つけそこから林道に入ります。 で、そこにバイクを止めそこからは徒歩。 結果から言うと、ここからはわかりやすい道を数分程度歩けば目的地に着けます。 ただし、最初の道を誤らなければ… そう実は今回、目的地の詳細な場所情報が手に入らなかったので、 とりあえず山の地図片手に乗り込んだので、私はここで谷筋を一本間違えて入って行き、 その後1時間ほど山中をさまようこととなったのです! (その話はまたあとで。(=^^=)ゞ) |
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道自体は幅も広く、路面もよくしまっているので軽トラなら通行可能だし、 バイクでもカブならOKだし、オフ車ならまったく問題なし! (ただし関係車両以外の進入は禁止されている様子。) ありきたりな杉の植林地をしばらく登りつめると道は突き当たり、 唐突に目的の場所に着きました。 |
で、これが目的の場所!
で、でたぁ〜〜!
はい、今回の目的はこのレンガ作りのトンネル! いや、時代的にはトンネルではなく「隧道(ずいどう)」と呼ぶべきでしょうね。 実はこれ明治時代に和歌山の村と大阪を結ぶために建設されたのですが、 後にこれに続く道が廃止されてしまったため、隧道自身も廃止されたものなのです。 (明治19年竣工で、実は日本で二番目に古い車両用レンガ隧道!) この隧道は当時、7〜8個で人夫の日給とほぼ同額だったという高価なレンガを惜しみなく使い、 最先端の技術で緻密に組み上げられたとのこと。 だからこそ100年以上経った今、文字通り放置された今でもこうして健在なのですね。。 (当時で総工費2万円ということなので、今だと、10〜20億円規模の大規模工事ですね。) つまり、それだけの費用をかけてでも、物流、交通の確保が村の発展に必要だと考えたのでしょう。 確かにその考えは正しく、今でも街づくりの要は交通網です。 |
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で、その迫力に圧倒されながら、恐る恐る中を覗き込むと… おお!ちゃんと向こうへ通じてる♪ しかも、意外ときれいで安全そう! 以前通った素掘りのトンネルは、行くたびに崩落がおき、大きな落石があちこち落ちていて、 ついには通行止めになってしまいましたが、この隧道はしばらくはそんな様子も心配もなさそう。 隧道はほぼ真っ直ぐ面抜けれており、こちらの入り口は和歌山から大阪へ向かう方向です。 しかし、私はここで痛恨のミスに気づく! 「しまった!懐中電灯をもってくるべきだった!」 そう、明治の隧道(トンネル)に照明設備などあるはずなし! そこで急遽携帯を照明代わりにいざ進入! |
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ほうほう、内側もきれにレンガが巻かれているな〜。 このような工法は、安定した岩盤で、地震等の力が加わらない場合は、 今のコンクリ巻きの工法よりも頑丈で安定するそうです。 とまあ、理屈は抜きにして、丁寧に積み重ねられたレンガは美しく見ているだけで楽しい♪ 特に入り口のアーチ部分は隧道の顔でもあるから花形ですね! とはいえ、この延長を全部巻くには気の遠くなるほど多くのレンガが必要だっただろうな〜。 (そりゃ工費がかかったはずだ!) |
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おや?しばらく進むとレンガの巻きが終わり素掘りの岩盤が?! で、再びアーチが出てきてまたその後はレンガ巻き。 ここの岩盤だけはほかに比べて強固でレンガの補強が不要と判断されたのかな? それと、おや大きなゴミ箱!? ということは、今ではここはハイキングコースのように整備されているのか! 実は事前に入手できた情報は8年ほど前のもので、 ここに至るまでのアプローチがかなりの悪路と紹介されていました。 ですが、今回私の行った感じではすごく通行しやすい道だったので、 もしかしたら行政による維持管理の手が入ったのでしょうかね。 そうだと嬉しいな♪ |
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その先は再びレンガ巻きとなり、うねるような迫力を持ってレンガの波が続きます。 いや〜、ほんとにに見事な作り。 なにより、100年以上たった今でも不安なく通り抜けられるというのがすばらしい。 また予想外に内部の空間は広く、歩いて通行するには窮屈な感じもない。 それもそのはず、当初の目的が物資流通の確保だったから、 当時は、この場所を荷車や、馬車が駆け抜けたはずなんだから。 そう思い足もとをよく見ると… |
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ほ〜、土の下にはきちんと石畳が敷かれていたのか! 出入り口付近では、きれいに敷かれた丸みのある平たい石が顔を出しておりました。 なるほど、だから足もともかっちりしてとても歩きやすいのだな。 重い荷物を積んだ荷車などが通行するのだから当然といえば当然ですが、 今まで見てき古い隧道でこういう路盤は今まで見たことがない。 本当に丁寧で、気合の入った作り込みだ!。 |
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実は途中で小さな穴ぼこを見つけたので近づいて眺めていたのですが、 こういう風に石の姿が見えていたのです。 なるほど、全面に渡り路盤には石畳が敷き詰められているんだな。 こりゃ本当に真面目な作りだ! |
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それにしても思いのほか長さがあったなぁ… 実は、この隧道の延長は約80m。 なるほど、そりゃ結構距離があるわけだ。 *詳しい緒元は、延長四十六間半(80m)、内径六尺五寸(2m),高さ七尺五寸(2.3m)。 そういうわけで、やっと出口が見えてまいりました。 抜け出た先はどんな景色はかな? |
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ほ〜〜〜〜! なんか明るくきれい! それもそのはず、隧道を抜けるとすぐその先で急斜面にぶち当たり、そこで道は左右に分岐。 (ただし現在は左右どちらも通行不可) つまり、隧道を抜けたらすぐに丁字路という危なっかしい構造。 ま、今と違って高速で抜け出たりしないからそれでよかったんでしょうね。 でもそのおかげで日当たりがよく、全体的にすごく明るい雰囲気で、 隧道というよりは歓迎のための門のようなイメージ。 先ほどの入り口が、谷筋の暗い林の中にあったので、 ぽっかりと黒い口を開けているイメージだっただけにやけに対照的! 作り手たちもそう感じたのか、こちらの入り口にはアーチの上方に扁額が設置されております。 やはりこちら側、つまり大阪から村へ向かう方向が玄関口で、 村を訪れる人々は歓迎し、また戻ってきた村の者たちは温かく迎えたい、 そういう気持ちがあったんでしょうか? いや、きっとそうに決まってる。だってこの場所はすごく雰囲気が良いもの! |
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扁額をよく見ると、そこには崩れかけながらも達筆と分かる文字で「池田隧道」とあります。 (無論明治なので右書きで、「道隧田池」です。) つまりこの隧道の正式名称は「池田隧道」。 明治時代の池田村(現在内田町に編入)と大阪方面の物流を支えてきていたのです。 (現在はこのすぐそばの県道に大きく立派な池田隧道が設置されていますので、 さしずめこれは旧池田隧道と呼ぶといいのでしょうか?) よく見ると扁額がやや下向きに角度をつけ傾斜し設置されているから、 これはおそらく、隧通行する人に見やすいようにしていたんでしょう。 (先ほどの話のように、出てすぐ斜面なんで、後方に下がって見れないですから。) まるで、隧道が、「わが名を見よ!」と誇らしげに言っているかのよう。 そして扁額の上部に目を移すと…。 |
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お〜! レンガの角を使った見事な装飾積み! こういうあたりも当時の後術者の洒落心と、この隧道に対する愛情を感じます。 壁面は、長手だけと小口だけのレンガの列が交互に積み重ねられている、いわゆるイギリス積み。 これは長手と小口が交互に現れるフランス積みよりも強度が上がるとして、 明治後期以降において橋梁や隧道などで好んで用いられた積み方です。 まあ、そういう細かい話は抜きにして、今となってはこのシンプルで規則正しい幾何学模様は… 美しい〜♪ もうそれで十分な気がします♪♪ |
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また今度は脇に目をやると、地味ながらすごく丁寧に詰まれた石積みに気づきます。 自然石をかなりきれいにカットして、隙間なくぴっちり組まれているのだから、 これもかなり手の込んだ職人さんの仕事ですね。 眺めていても見飽きないし、その場の雰囲気がとても良いので、 いつまでもこの付近で、うろうろと場所を変え角度を変え、て眺めては楽しんでおりました。 ですが、時間は刻々と過ぎて行き、くわえて冬場の日の暮れは早い! おまけに山中となればなおさら。 だから後ろ髪を引かれる思いでこの場所を後にしました。 今度はぜひお茶セットを持ってきて、ここでぼんやり眺めながらお茶しよう♪ |
下が崩土で埋もれかけたこちら側の出口。
抜け出る直前のこの光景は、そこいらの絵画が束になってもかなわないほどに美しい!
そういうわけで、
「バイバイ!また来るからね〜!」
実は今回この場所を訪れようと思ったのはとあるサイトでの情報。
そこでは、この隧道のレポとともに詳細な情報などが記されておりました。
そして私の身近な場所にこのようなすごい建設物があったことに驚き、
ぜひこの目で見て、そして手で触れたい、願わくば通り抜けたいという思いに駆られたのです。
そしてまたそのサイトでは、当時(2004年)すでに文化財に指定されている(1975指定)にもかかわらず、
取り立てて保護されることなく山中に放置されているということもあわせて記されておりました。
そうなると、今度は次第に
「いったいいつまで存在し続けられるのだろう?
今しかないんちゃう?
いや、むしろ今でも健在か?」
とやむにやまれぬ気持ちに…
で、今回訪れた結果、私が読んだレポのときと様子は少し違ってきており、
隧道も放置から、維持管理の方向へ動いてきていたかのようなの気がします。
隧道までのアプローチが通行しやすく拡幅されていたり、
隧道内にゴミ箱が設置されていたり、
入り口付近に戸板を敷いていたり。
しかしながら、隧道自体の経年劣化による損傷はやはりあるようで、
池田側の入り口付近のアーチ部分には、大きくぐるりと亀裂が入っておりました。
それだけにやはり今後いつまでこうしてあり続けれるのだろうかと、不安に思う一方で、
過度に手が入り遊歩道化され、あの雰囲気が台無しにされるのも、
なんだかもったいなく悔しい気持ちもし、
複雑な心境になりました。
参考にさせていただいたサイト様
旧道倶樂部様
http://www.kyudou.org/KDC/index.php
隧道の詳細は下記に詳しく書いてくださってます。
http://www.kyudou.org/KDC/ikeda/ikeda_04.html
【おまけ】
疲れ果てへたり込んだ足元にあった、メチャクチャでかいばけキノコ。
なぜ疲れ果てていたのかというと…
実は前述のとおり、当初目的地の一本隣の谷筋に入り込んでしまったため、
道なき道というか、谷筋やがけを強引に登り詰め足り下ったり、
そそてトンネルを求めて尾根線を徘徊し、
何十年ぶりかに口から心臓が出るほどに息を荒げていたのです。
というのも、実はこのトンネルを知ったのはネット上での情報だったのでして、
詳しい場所情報はなく、範囲も結構アバウト。
おまけにそれすらも、せっかくプリントアウトしておきながら、家においてきてしまったのです。
ですので頼りの綱はおぼろげな記憶だけ!
そして記憶にある紹介されていたアプローチは文字通り道なき道。
だから何度もそういう場所めがけて突入しては玉砕してしまっていたのです。
これなんか普通なら絶対登るどころか入り込まないただの水路!
でも、気合って怖いね〜、こういうのを普通に何本も上り下りしてました。
で、そのように尾根道をさまよっていたとき、
実はそのとき何度もトンネルの上を行ったり来たりしていたようです。
(=^^=)ゞ
でもおかげで、ほとんど人の踏み跡のないきれいな雑木林の風景を満喫できました。
こんなに素敵な景色を見れたのも、もう何十年ぶりだろう?
これを見れただけでも価値があるなと、負け惜しみ半分で思ってました。
でも、そういう雑木林って、どこもすごく似た景色なんで、うっかりすると道に迷ってしまうのですよ。
おまけに、今回のように道なき場所を歩いていると、
元に戻っているつもりでも気がつくとまったく別の居場所にいてしまったり。
実際今回も数回位置を見失いましたが、一応コンパスと山の地図を持参していたので、無事元の場所に戻れました。
(一応曲がった場所では、朽木を道に刺したりとかもしてました。)
そうそう、今回こうして山の中をうろついて遊んでおりましたが、
残念なことに、人の踏み跡のあるところには、どんな険しい場所にでもごみが捨てられておりました。
コンビニ弁当や、ペットボトルはもちろん、タイヤ・大型のコンプレッサーなど、
こんなものをいったいどうやって?と思えるほど大きなものまで。
なるほど、この林道の入り口に大きく「不法投棄禁止」の看板があったわけだと感じ悲しくなりました。
そうそう、こんなとこ誰も入り込まないだろうと思った尾根線でも缶コーヒーの空き缶がありましたが、
それはもう20数年以上も前の古いジョージアのロング缶でした。
これがハイCやファンタのならちょっと欲しかった♪
【おまけのおまけ】
さ、寒くなってきたから帰〜ろ♪
「おかえりなさい。で、お土産は?」
はい、ひさびさに「レイドバック」のやきそばだよ〜♪
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