食べ物♪61
飴
ご存知の方もおられますが、私はタバコを吸いません。
だからというわけではないですが、
飴はよく舐めています。
そして考えてみると、やはりお気に入りがあるようでして、
昔ながらの、野暮ったいものが好きなようです。
他の食べ物は、先ず新製品を試すのに、
こと飴については、しつこいくらいに同じものを舐めています。
例えば、バター飴、いも飴、コーヒー飴、ミルキーなどです。
もちろん、新製品が不味いわけではなく、
むしろ美味しかったりすることの方が多いのですが、
なんなんでしょ?
「落ち着き感?」、「安心感?」
う〜ん、上手くは表現できないけれども、
「口と、からだと、気持ちに丁度合う。」
そのような感覚です。
実は先日、飴売りのおじいさんを見ました。
駅前から離れた寂しいガード下で、自転車の荷台に自家製の飴を積み、
小さく遠慮がちに、
「飴、美味しいですよ。」
と通行人に声をかけていました。
私は内心こう思いました。
「今日び、飴など売れもせんやろな〜。」
その数日後、再びそのおじいさんに会いました。
今度はもっと寂しいガード下。
通行人もまばらなその場所で、声も出さずに立っていました。
私はつい、ふらっと立ち寄り覗いて見ると、
荷台には、色々な飴が積まれていました。
すると、「どうぞ味見を・・」
おじいさんは綺麗な飴を差し出しました、
私はそれを断り、代わりにいも飴を貰いました。
!(・∀・)「美味い!」
素直にそう思いました。
砂糖の香りと、いもの香り、そして、素敵な粉っぽさ。
私は、はったいこ飴、みそ飴、、いも飴、バタ−飴を買いました。(各¥100)
家に帰り、製造元も見ると隣町の住所、
おそらく、今までは卸専門でやっていたところでしょう。
しかしこの手の商品は、今や零細商店には入り込む隙間はありません。
色々あって、自転車で周っているんだろうな…
色んなことを思いながら舐める飴の味は、
美味いのですが複雑でした。
だから、私は一気に噛み砕き、
頭の中の考えと一緒に、飴を飲み込みました。
それから後は、そのおじいさんを見かけません。
ついでに…
私は元来、同情による行為を嫌います。
それは、相手のプライドを傷つける、見下した行為のように思ってしまうから。
(ですので、自分の招いた原因で何かがあっても、私自身同情されるのを嫌います。)
今回、私は同情で買ったのでしょうか?
いいえ、
美味しかったからです。
不味ければ、買えませんでした。
買っても食べなければ、それはすごい侮辱になると思いますから。
全ての行為に責任があるように、
優しさにも責任があると思います。
責任を放棄した、ただの同情は、
優しさでは無いような気がするのですが…
結果として、相手が喜んでくれるのならば、
それも「優しさ」なのでしょうか?
正直、いまだに分かりません。
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